ゴルフツアープロコーチ・野球トレーナー摩季れい子オフィシャルブログ

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摩季れい子インタビュー
【第一章】 原点
  摩=摩季れい子  イ=インタビュアー
イ: 最初に、摩季先生の子供の頃のことをお聞きしたいのですが?
摩: 私はソロバンの産地で有名な兵庫県の小野市で生まれ育ちました。
家の近くに加古川が流れていますから、 川で魚とりとか、野山を走りまわって、
男の子と遊ぶことが多かったですね。
イ: 昔から活発でいらっしゃったんですね。
摩: そうですね。小学生のころは体操やソフトボール、鼓笛隊の指揮者もしていました。
中学からバレーボールを始め、高校ではバレー部のキャプテンとして、
常にみんなを引っ張る役目でした。

特に高校では、コーチ兼選手という存在でしたね。監督の先生は忙しくて
練習にも参加されないし、これではいけないなと思ったんです。
イ: それでどうされたんですか?
摩:

バーンと職員室に乗り込んで、担当の先生に直訴したんです。
練習中の選手の様子も把握されないまま、試合中に勝手にメンバーチェンジするのは
止めてくださいって。すると、『オレは引くからキミがやりなさい』ということになって。

イ: それはまた豪快ですね。
でも監督代行なんて大変だったんじゃないですか?
摩季れい子インタビュー
摩: 練習方法とかトレーニングは独学で研究しましたね。
某実業団に交渉して夏休みだけ練習に行ったり
してましたよ。
イ: それは高校生とは思えない行動力ですね。
でも同級生たちに指導するなんて難しかったんじゃない
ですか?
摩: 自分が全部できるタイプだったので、
他の選手たちがついて来れなくなり、クレームが出たことも
ありましたね。 そんな時はミーティングの機会を増やし、
練習ひとつひとつの意味を理解してもらい、
目標を確認し合いました。
  三年になって“引退”してからは、後輩のチームをいかに強くするか、
もうそればっかり考えていたんです。無名の田舎のチームが県大会に行って、
強豪の有名私立高校に勝った
ときは、周りがビックリしていましたね。
 
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『野球選手の故障予防と投打のバイオメカニクス』
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